客观日本

精彩日文晨读(14)

2015年03月04日 日语学习、日语考试

4.気持(きも)ちよい生活(せいかつ)挨拶(あいさつ)から

いまさら、儒教(じゅきょう)道徳(どうとく)()(まわ)すつもりは毛頭(もうとう)ないが、挨拶(あいさつ)は、生活(せいかつ)気持(きも)ちよくしていく(うえ)()かせないものだ。

もし挨拶(あいさつ)という潤滑油(じゅんかつゆ)がなかったら、(ひと)(ひと)とのコミュニケ(こみゅにけ)(しょ)んは、ずいぶんギクシャクしたものになるに(ちが)いない。

自分(じぶん)他人(たにん)仲良(なかよ)くなるのが下手(へた)だとか、他人(たにん)とのコミュニケ(こみゅにけ)(ところ)んがうまく()かないと(おも)っている(ほう)は、挨拶(あいさつ)をきちんとしているかどうかをチェックしてみた(ほう)がいい。

精神的(せいしんてき)()()(はじ)めると、(ひと)挨拶(あいさつ)するのが面倒(めんどう)になり、いつ省略(しょうりゃく)しがちになる。

しかし、なんでもないことのように(おも)えるそうしたことが、(じつ)は、他人(たにん)との(あいだ)(かべ)(つく)(おお)きな障害(しょうがい)になったりするのだ。

もちろん、挨拶(あいさつ)はあくまでコミュニケ(しょ)んの(とり)()かりにすぎないことも事実(じじつ)である。

やたらに愛想(あいそ)のいい(ひと)挨拶(あいさつ)は、本心(ほんしん)(おお)(かく)すためのベル(べる)のような(うご)きをすることもある。

気持(きも)ちのよい挨拶(あいさつ)というものは、やはり自然(しぜん)()てくるものだろう。(べつ)にこしらえるでもなく、意識(いしき)せずに、挨拶(あいさつ)言葉(ことば)(くち)にしているときには、自分(じぶん)(こころ)(ひら)いている証拠(しょうこ)だと(おも)っていい。

(すこ)挨拶(あいさつ)注意(ちゅうい)()けてみるだけで、他人(たにん)との関係(かんけい)()()えて()わっていくこともありうるのだ。

気持(きも)ちよい生活(せいかつ)挨拶(あいさつ)から(はじ)まる。