热点:日本人百米终于跑进10秒 与顶尖仍相差甚远

日本社会 · 经济百科 2017年09月12日
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【共同社9月10日电】日本选手终于在男子田径100米项目上跑进10秒,落后于世界49年。21岁的桐生祥秀(东洋大学)9日在福井县营田径竞技场举行的日本学生校际锦标赛中,取得了9秒98的成绩。这虽是日本人首次达成壮举,但要在世界舞台上竞争,与顶尖水平仍有很大差距,需要进一步提高。

▽转机

日本人接近跑进10秒的转机是1991年的东京世界锦标赛。当时日本田联成立了分析选手动作的“生物力学研究班”,详细分析了当时创下9秒86世界纪录的美国选手卡尔・刘易斯等人的动作。分析发现,看上去抬得很高的膝盖实际上并没那么高等,跑步的常识开始颠覆。

在日本,上世纪七十年代请来的波兰人Gerard Mach的练习方法曾是“教科书”。由“高高抬起膝盖”这一点一度重视“提起大腿”,但通过分析也发现这对于日本人的骨骼并不一定有效。

自此,运动员开始转而追求适合日本人的姿势,伊东浩司没有过高提起大腿,练出了类似忍者的拖步跑法。他凭此在1998年创造了10秒00的日本新纪录。400米的日本纪录保持者高野进这样解说道:“以1991年为契机,拣选出了日本所需要的部分。以此为基础一直积累至今。”

▽落后

日本人虽相较欧美选手体格上占劣势,但1935年追平世界纪录跑出10秒3(手动计时)、被称为“拂晓超特急列车”的吉冈隆德等历代顶尖选手从二战前就一直在挑战10秒关口。全球首个成功跑进10秒的选手是1968年跑出9秒9的美国选手吉姆・海恩斯。同年在能显示百分之一秒的电子计时比赛中也跑出了9秒95的成绩。

在日本,上世纪九十年代朝原宣治三度刷新国内纪录,创造了10秒08的最佳成绩。然而10秒关口很难突破,伊东从第一线退役后持续停滞不前的状态。再次让人看到希望的是2013年跑出10秒01的桐生,当时他是京都洛南高中的高三学生。

桐生进入东洋大学后一直难以突破,竞争者却陆续出现。“日本第一人”的名头甚至也受到威胁。落后于世界49年的夙愿今秋终于实现,他感慨地说“终于刷新了4年来一直停滞不前的个人最高纪录”。

▽挑战

然而世界没有如此简单,并非一次跑进10秒就能崭露头角。据国际田联称,包括桐生在内,跑进10秒的选手共有126人。即使相较于200米比赛跑进20秒的66人,角逐人类最快比赛的人群数也是不同。

在世界纪录9秒58的保持者、牙买加选手赛恩・博尔特达成三连冠的里约热内卢奥运会上,有28名跑进10秒的短跑运动员进行了挑战。而仅有8人进入决赛,很多人在这之前已经淡出人们的视线。

日本的赛事跑道质量及风力等被认为条件优越。这次9秒98的成绩也是在顺风风速每秒1.8米的情况下达成的,接近获得认可的上限每秒2米。也有研究数据显示,若假设该条件是无风,成绩会降至10秒13。桐生说:“跑进10秒是一个里程碑。希望能稳定跑进10秒的心情现在非常强烈。”对他而言,首要的是今后拥有无论在何种环境下都能跑出10秒00左右成绩的能力。(完)

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◎悲願達成もトップと隔たり  層厚い「人類最速レース」

世界から49年遅れて日本選手が陸上男子100メートルの9秒台突入を果たした。21歳の桐生祥秀(きりゅう・よしひで)(東洋大)が9日、福井県営陸上競技場で行われた日本学生対校選手権で9秒98をマーク。日本人初の快挙達成だが、世界と戦う上ではトップとの隔たりは大きく、一層のレベルアップが求められる。

▽転機は世界陸上

日本が9秒台に近づく転機になったのが1991年世界選手権(東京)だった。日本陸上競技連盟は選手の動作を解析する「バイオメカニクス研究班」を結成し、当時の世界記録9秒86を樹立したカール・ルイス(米国)らの動きを詳細に分析した。高く上げているように見えた膝が実際はそれほどではないことが分かるなど、走りの常識が崩れ始めた。

日本では70年代に招いたポーランド人のゲラルド・マック氏の練習法が「教科書」だった。「膝を高く上げる」との教えから「もも上げ」が重視されていたが、日本人の骨格には必ずしも効果的ではなかったことにも気付いた。

日本人向けのフォームを追求するようになり、伊東浩司(いとう・こうじ)はももを高く上げず、忍者のようにすり足に近い走りを磨いた。それが98年の10秒00の日本新記録につながった。400メートルの日本記録を持つ高野進(たかの・すすむ)氏は「91年をきっかけに日本に必要な部分がより絞り込まれた。それをベースに積み上げてきた」と解説した。

▽世界から49年遅れ

欧米の選手に比べて体格で劣る日本人だが、35年に当時世界タイの10秒3(手動計時)を出した“暁の超特急”吉岡隆徳(よしおか・たかよし)ら歴代のエースは戦前から10秒の壁突破に挑んできた。人類初の9秒台は68年にジム・ハインズ(米国)が出した9秒9。100分の1秒まで表示する電気計時でも同年に9秒95をマークした。

90年代には朝原宣治(あさはら・のぶはる)が日本記録を3度更新して10秒08まで伸ばした。ただ10秒の壁は高く、伊東が一線を退いた後は足踏みが続いた。再び9秒台への機運を高めたのが2013年に10秒01を出した京都・洛南高3年の桐生だった。

東洋大入学後、なかなか壁を破れずにいるうちにライバルが次々に台頭、「日本人一番乗り」が危ぶまれる状況にもなった。それが秋になって世界から49年遅れで悲願を達成し「やっと4年間くすぶっていた自己ベストを更新できた」としみじみと話した。

▽甘くない世界

だが10秒の壁を1度突破したぐらいで活躍できるほど世界は甘くない。国際陸上競技連盟によると、桐生を含めて9秒台で走った選手は126人。200メートルの19秒台が66人なのと比較しても、人類最速を争うレースは層の厚さが違う。

9秒58の世界記録を持つウサイン・ボルト(ジャマイカ)が3連覇したリオデジャネイロ五輪には28人の9秒台スプリンターが挑戦。決勝には8人しか進めず、多くがそれまでに姿を消した。

日本の大会はトラックの質や風など、条件に恵まれていると言われる。今回の9秒98は公認される上限の2・0メートルに迫る1・8メートルの追い風があった。この条件を無風だと仮定すると、10秒13になるとの研究データもある。「9秒台は通過点。9秒台をコンスタントに出したい気持ちが今は強い」と話す桐生は今後、どんな環境下でも10秒0前後で走れる力をつけることがまずは重要となる。(了)

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